まず観音とは観世音菩薩の略で慈悲深い徳があり世の衆生のすくいの求めに応じて大慈大非を垂れ三十三身に身を現じると言われるそうです。718年に病で仮死状態になった徳道上人は閻魔大王に三十三ケ所の観音霊場を広める様告げられ、息を吹き返して霊場開創に努めたといわれます。その後270年後の988年西国巡礼中興の祖とされる花山法皇が衰退していた観音霊場を巡拝し復興したと伝えられています。 現在の西国三十三か所(和歌山県の青岸渡寺をスタート)は室町後期から江戸時代と考えられています。